ジェスチャーでも片言でも、言葉を紡ぐことは優しさを表すと思う

外国人観光客が「日本人は優しいので、また来たいと思う」という声は、前々からよく聞かれます。自分が日本にいると、とりたてて日本人が優しいという感覚もなく、そんなものなのかなと思っていました。


逆の立場、つまり自分が外国人になったとき、日本人が優しいと思われることが少しわかった気がしました。台湾に行ったとき、私は現地語が話せなかったので、英語で話しかけると、日本語で返してもらうことが多々ありました。そのときのホッとしたような気持ちは、その土地の優しさを感じることにも繋がった気がします。なるほど、日本でも店員さんが英語で対応したり、道を尋ねられたときに英語で答えている場面をよく見かけます。たどたどしくても、日本語ではなく英語でコミュニケーションを取ろうとしている日本人はたくさんいます。これが、冒頭の感想の一端に繋がるのかもしれません。


しかし私は、台湾で相手が日本語に切り替えてくれたことに対して、悪いことをしたなという思いも、同時に感じてしまいました。こちらが相手の母語を話すことができればよかったのに、わざわざ相手に外国語を話させてしまった手間への申し訳なさとでもいうものでしょうか。

近くに住むアメリカ人の友人が、日本に越してきて直ぐ、コンビニで切手を買いたいのでなんと言ったらいいのかと聞いてきたことがありました。簡単なフレーズを伝えたものの、まだ彼女が日本語はほとんど話せない状態だったので、もし難しかったら英語でも大丈夫だよと最後に付け加えました。しかし彼女は頑として、日本にいるのだから日本語で挑戦してみると言っていました。結局彼女は日本語で切手を買うことができ、とても嬉しかったそうです。

自分が現地の言葉、つまり相手の母語を話したいといった彼女の気持ちが、同じ立場に立ったときによくわかりました。


相手の母語を話すことだけが優しさということではないと思います。

相手とコミュニケーションを取ろうとする気持ちが、優しさなのだと思います。ジェスチャーであったり、相手の国の言葉をほんの少しでもいいから話したり、もしかしたら共通語であるかもしれない英語を話したり、どうにかして相手の気持ちをわかりたい、自分の気持ちをわからせたい、その行動が人同士の温かさに繋がるのではないでしょうか。

もちろん、言葉が通じないことによる不便さ、そこから生まれる誤解による不快さなどもあると思います。しかしそれも、わかりたかったのにわからなかったという、人と心を通わせる行動から生まれた感情のひとつではないかと思うのです。


「コミュニケーションは、最後は気持ち」というのはこういうことを言うのだと思います。世界で言葉がひとつだったら楽だっただろうと思うこともありますが、もしそうだったら、こうした人としての優しさは生まれなかったのかもしれないと思うと、言葉がたくさん存在することもまた良かったのかもしれないとも思えます。


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