意思疎通を図ることは、人としての原点を見るような気がする
私にとって英語は外国語ですが、コミュニケーションを取る相手も、いつも英語母語話者だとは限りません。
相手が英語母語話者の場合は、こちらの崩れた英語でもなんとか察してくれるだろうと、多少の甘い考えを持ちながらということもあります。ですが、相手が非母語話者の場合、意思疎通を図ることに、お互いが困難さを感じているような場合もあります。
しかし、例え困難さを感じたとしても、意思疎通を図る作業には、心を通わせるという、人としての原点を見る気がするのです。
特に、お互いが英語非母語話者のとき、そのことをより強く感じます。
パターン1. 相手が英語を話せる場合
コミュニケーションを取ろうと、お互いに努める。通じ合ったとき、お互いがなんとなく達成感を感じる。別れ際は、たいてい笑顔。
パターン2. 相手が、英語をほぼ話せない場合。
こちらも英語が通じないとあせり、向こうは英語はわからないしとあきらめる。なんとも言えない気まずい沈黙。その中で、意思疎通を図る。通じたら、やっぱり安堵の笑み。
どちらにしても、言葉が通じないのは、精神的に緊張します。ですが、だからこそ、相手の意思を汲み取る努力と、伝えるための手段を考えます。人の優しさを感じる瞬間でもある気がします。
外国語を話せるともっと、幅広く情報収集ができていいなと思うと同時に、言葉の通じない中で、どうやって相手と心を通わせようかと思うと、楽しくなってきます。
台中のタクシー運転手さん、私が1人でやや心細くタクシーに乗っていたとき、片言の英語で一生懸命話しかけてくれました。私の気持ちをほぐそうと、手を替え品を替え、いろいろと話してくれました。温かい気持ちを感じました。
いつまでも忘れないと思います。謝謝。
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