教えることは、記憶を掘り起こすこと
家庭教師のアルバイトも含めると、「教える」ということをとても長い期間、経験してきました。同時に「教わる」ことも長年、経験してきています。「教わる」方は、初めての習い事から振り返ると、人生のほとんどの期間です。
何ごとも、いろいろな方向から物事を見るべきと言いますが、同じように「教える」ときには「教わる」ときの気持ちを同時に考えなければいけないと思っています。
そういうわけで、大人になってからの習い事は、自分が教えるときの勉強にもなっています。ただ、何かを習っているというより、「先生の教え方」も一緒に習っているといった感じです。それぞれの先生方の教え方というのは、それぞれ違っていてとてもおもしろく、英語とは全く関係がなくても、自分が教えるときに応用できそうなことがあれば、アプローチ方法をネタとしていただいたりもしています。
そんな風に、「教わる」ときの気持ちを思い出しながら「教える」ということをしていますが、もう一つ思い出していることがあります。それは「自分が英語を教わったときの気持ち」です。例えば、ある文法ポイントを説明するときに、それを教えてくれた先生の説明や、「面倒くさそう」とか「興味深かった」とか「よくわからなかった」とか「おもしろかった」とか、初めてそれに触れたときの自分自身を思い出しています。ついでに、そのときの懐かしい思い出も、記憶としてよみがえるときもあります。
このように、「教える」ということは「自分の記憶とつきあうこと」だと思っています。もちろん、同じ物に触れても感想は人それぞれだと思います。それでも「私の場合」として、英語に対するひとつのアプローチ方法を紹介していきたいと、日々思いながらレッスンしています。
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