日本語は、時制も暗黙の了解があるのかも:修正版

高校生と問題集を間に置いて、文法問題とにらめっこ。一問ずつ、じっくり確実に解いていたら、すぐに時間が経っていました。

いろんな項目が混ざっている問題ページでしたが、どの問題にも出てくるポイントは「時制」だなと感じました。主節と従属節の時制関係(過去と過去なのか、過去と大過去なのかなど。)を理解した上での文の書き換えや、カッコの穴埋め問題を見ていると、おもしろいことに気づきました。

日本語は主語だけでなく、時制もあいまいなのかもという点です。


その文がいつの時点(過去、現在、未来など)の話なのかを理解したい場合、日本語に訳す方がわかりやすいのではということで、日本語に訳すのですが、文尾の時制があいまいになることがよくあります。

例:「明日、映画を見に行きます。」

本来なら「明日、映画を見に行くつもりです(予定です)」の「つもりです」「だろう」などが未来形の結びになると思います。普段の会話では、未来の話をしていても「○○です」という現在形で結ぶことができます。しかし、日本語では「明日」という時を示す言葉さえ理解できれば、語尾がなんであれ時制を理解することができます。

英語では、時を表す言葉と動詞の時制は必ず一致させなければいけません。なので、もし、ある文の時制を理解しようと日本語に直すなら、どんなにおかしな日本語になっても時制に沿った語にしておかなければ、その文の時制がなにかわからなくなってしまうと思います。過去なら「でした」、現在なら「です」、未来なら「だろう」のようにです。


単文ならよいのですが、「彼女が映画を見に行くだろうと話す」(She tells me that she will go to see the movie.)を過去形にすると「彼女が映画を見に行く予定だったと話した」(She told me that she was going to see the movie.)のように、あっちもこっちも過去形にするとか、「彼は図書館で借りた本を返した」(He returned the book that he had borrowed from the library.)をどっちの方が先に起こったことかを考えながら文を作るとか、そんなことになってくると、ますます日本語の曖昧性が出てくると思います。


英語の時制がはっきりしすぎているのか。日本語の時制があいまいすぎるのか。

そこに善し悪しがあるわけではありませんが、それぞれの言語の特徴を頭の片隅にでも置いておくと、こんがらがっていたものが、少しほどけるかもしれません。


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