強い動機付けを無理にしなければいけないほど、英語は全員に必要なのか

土曜日に出席した第二言語としての英語習得についてのシンポジウムでも、取り上げられた「強い動機付けが効果的な習得に結びつく」という話には、納得しました。確かに、何事においても、意欲的に取り組む場合、吸収力も理解力も高い状態で短期間でマスターできることは、誰しもが経験していることだと思います。


私がレッスンさせていただいている生徒さんの中には、大変意欲的に英語を習得したいと思っている方もいます。こちらが、特に動機付けをしなくても、本人自身に強い動機が備わっているので、わからない→わかった→おもしろい→次にいってみようという正のスパイラルができあがっているのです。

ですが、そうでもない方、例えば、学校で勉強しなてはならないから・・・、受験でいるから・・・仕方なくという方もいます。イヤイヤ英語と向き合っている(向き合っているともいえない)相手に「英語をしているとこんな得なことがあるよ」と話して動機付けをし、モチベーションを上げて、効果的な習得に結びつけるというのは理想的な方法だと思います。ですが、【学習に意欲的でない=必要性を感じないから意欲がわかない】というのも、一理あると思うのです。そうすると、【全員に英語の必要性はない=全員が無理に英語学習をする必要がない】という図式さえできあがるのではないかと思うのです。


英語の必要性について考えてみました。

「外国に住むことがあるかもしれない」→海外移住の可能性というのは、高くはない。しかも、海外に住んでいてもそこまでたくさんの英語を話す必要はない。数年住んでも、必要最低限の英語と母語の日本語で不自由しない。

「外国から来た方に道を聞かれるかもしれない」→地図を見せるなど、なんらかの方法で意思疎通は図れる。

「外国出身者の友達を作れて、楽しい時間がもてるかもしれない」→そもそも英語に興味がないのに、わざわざ英語を使って友達を作ろうという気持ちにはなれない。(実際に私がもらった答えです。)

どうやら、意欲的ではない理由がつけられる場合は、必要性が高いようには見えません。

「仕事で必要」「生活するのにどうしても必要」というような必要に迫られている人というのは、それだけで強い動機付けをされているので、意欲的なグループに入って当然というようように見えます。


「グローバル化」と謳われる昨今ですが、何を持って「グローバル化」と呼ぶのか。どれくらい英語を使えれば、もしくはどんなことができれば「グローバル社会を生き抜く人」と呼ばれるようになるのか。その定義は抽象的すぎて難しいと思います。

「グローバル社会なんだからこそ英語が必要」と言われても、私自身、英語を必要としている人が、ここ数年で身近に増えたという確かな実感もわきません。そんな中で、「英語って将来必要なんだから、勉強しておかなくてはいけないんだよ」という話をしても、漠然としすぎて、動機付けには至らないのではないかと思うのです。

そうはいっても、成績も受験も迫ってくるので、どうにかしてモチベーションを上げられるための具体的な動機付けとはどうすれば良いのかを考えさせられる毎日です。


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