マイダネク強制収容所

昨日の歴史の話に関連して。


先月、ポーランドに行ったときに、滞在先だったルブリン中心部からバスで15分程のところにある、マイダネク強制収容所跡を訪ねました。

それまで、ポーランドの強制収容所といえば、アンネの日記でも有名なアウシュビッツしか知りませんでした。ルブリンに行くことが決まったときに、ルブリンの歴史を調べていて、マイダネクに強制収容所のことを知りました。


マイダネク強制収容所は、第二次世界大戦の犠牲者を追悼するための、ヨーロッパでは一番古い施設で、ホロコーストの歴史を今も伝える博物館として保存されています。

収容所としては、1941年10月から1944年7月まで使用され、広さは約90ヘクタールで、第二次世界大戦中にヨーロッパに作られた最大の収容所の一つと言われています。ユダヤ人、ポーランド人、ベラルーシ人の、総勢15万人が収容され、飢饉、病気、銃殺、ガス殺により8万もの人がここで亡くなりました。

博物館としては、1944年に設立され、当時のままのバラック小屋を一部の区域は取り壊さずに、当時収容されていた人々の証言、家族に向けた記録、秘密の手紙を展示したり、使われていたベッドをそのままに当時の生活の様子が見られるようにしてありました。また、収容者が来ていた服や没収された靴、ガス室、火葬場も当時のままで、ナチスがどんなことをしてきたのか、言葉ではなく、自分の目で見ることにより肌身で知る機会となりました。火葬場の壁に残されていたいくつもの爪痕は、私にとって忘れられない光景です。


夫と収容所跡を訪れた日は、晴れ間も見えるものの、風が強い日でした。見渡す限りバラック小屋の跡地は吹きさらしで、気温はその時間で7度ほどだったと思うのですが、吹く風は冷たく、歩くにつれ手足がとても冷たくなりました。この地は、冬はもっと寒くなるのだと思います。寒さと死への恐怖の中、重労働を強要されている日々を送っていくと、人としての温かい感情を次第に失っていくのであろうことは、容易に想像できました。

その中でも、壁や労働に使っていた道具に残された絵や彫刻の展示もあり、とても印象的でした。生きる希望や人間としての尊厳を失わずにいた人たちもいた事実に、心が熱くなりました。あきらめないことを仲間と励まし合った日々だったと思いますが、周りの環境に流されずに、その気持ちを強く持ち続けることは、並大抵のことではなかったと思います。


この事実は、ずっと昔のことではありません。

歴史の積み重ねの上に、今の自分たちの日常があることを認識するためにも、歴史は知らなければならないと強く思ったのです。


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