英語で理科を学ぶことは、お得なのか?

来春から、また英語教育改革がなされるとの噂を耳にしました。より実用的な英語を使えるような英語教育にするために、さらなる「英語化」を推し進めるようです。将来的には、英語で行われる社会科や理科などの授業も、さらに増えていくようです。


そういった授業は一見、英語も社会科も理科もすべてが一度に学べて、とてもお得のように聞こえますが、ここに落とし穴があるとも言われています。


昨日の記事にも投稿した明治の文明開化の頃、藩からの派遣留学生が、イギリスなどに渡り、ヨーロッパの文化や制度を日本に持ち帰ったそうです。結果、日本の高等教育はほとんど外国語で行われ、日本語で書かれた教科書は1870〜1880年代当時まで、存在すらしなかったそうです。というのも、抽象的概念を語れるような日本語の語彙もまだ少なかったからとも言われています。

1880年代初頭までは、英語が堪能な知識人が、多数活躍したため、「英語公用語化」論もわき上がっていたようです。


しかし、それを一刀両断したのが、「一国の文化が進歩するにしたがって語彙も増え、言語も発展していく」と説いた福沢諭吉であり、「なすべきこと、学ぶべきことを差し置いて、英語学習に時間を費やすべきなのか。それができる人とできない人との格差を生み出し、国が分断されてしまう恐れがある」と発言した馬場辰猪だったそうです。


広く深く知識を得、議論する時間を、英語学習に取られてはもったいないという説は、英語化に向かっている現代にも、問われるべき問題ではないかと思います。外国語の専門用語を覚える代わりに、専門用語に関する知識を深める方が、将来の国力に繋がっていくのではないかと思うのです。英語汎用術が、他の技術や専門知識と同じように、その中の一つとして捉えられるのであれば、「まず英語ありき」のような教育改革には突き進まないのではないかと思うのです。


日本にはすばらしい技術者や知識人の方が、たくさん活躍されています。

理科を英語で教えられる教員養成をする時間と費用を、理科の深い専門知識をより多くの子どもたちに興味付けし広められる教員養成する方に費やす方が、先代から受け継がれてきた日本の技術や知識を後世に繋げていくことができるのではないかと、日本人のノーベル賞受賞のニュースを見ながら、思っていました。


(参考文献:施光恒(2015)『英語化は愚民化 ー日本の国力が地に落ちるー』 集英社新書)


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