英語力をつけるための先生は?(前編)
知人と先日、病気になったとき、どんな医師にかかりたいかという話になりました。その方は、自分と同じ病気になった経験を持った医師だとより安心できるという意見を持っていました。私も賛成です。
というのは、もちろん優秀な医師はたくさんいらっしゃるし、信頼できる医師の元での診療に何の不満もありません。ですが、病気という非日常で、しかも大なり小なりの不安や恐怖を感じているときには、現実的な診療に加え、精神的な支えが重要になってくると思います。そこには共感ということが大きく影響しているのではないでしょうか。そして、経験に基づいた共感こそが、何よりの支えに繋がると思うのです。
これは、英語の話にも通じるものがあると思います。
現代の日本では、英語ネイティブスピーカー信仰が根強く浸透しています。「英語を母語とする人に英語を習えば、英語ができるようになる」という考え方です。または「英語を習うには、絶対に英語ネイティブスピーカーの先生がいい。日本人ではだめだ。」という考え方です。
これには、全面的には賛成しかねます。
まず、なにをもって「英語ができる」と言うのでしょうか。語学には、読む聞く話す書くという4技能があります。1技能できれば、英語ができると言うのか、4技能までできなければ、英語ができたと言えないのか、人によって考え方はそれぞれだと思います。全てできるに超したことはありませんが、必要な技能も人それぞれだと思います。
次に、技能を習得するには、英語だけではなく、今の実力と到達目標までに足りないところを比べる必要があります。それがないと技能は向上しないと思います。
例えば英語を書く場合、<自分は○○と書きたい。そこで△△と書いてみた。でもそれは間違っていて、××と書くのが望ましい。>というプロセスがあったとします。『××を△△と書いたけれど、どうして××がいいのか。自分はどうして△△と書いたのか。』という分析がなければ、次回も同じような文を書きたいときに、△△と書くでしょう。もしかしたら、もっとかけ離れた□□と書くかもしれません。
この分析をする際に、【△△と書く】理由がわかるのは、学習者の母語との違いがわかる人、つまり学習者と同じ母語を話す人だと思うのです。逆に、始めから××と書ける人(英語なら、英語ネイティブスピーカー)には、【△△と書く】理由がわからないので、学習者に納得できるような説明はできないと思うのです。
要するに、学習に必要なのは、△△と書いてきたけれど、今は××と書けるようになったという、同じ行程をたどってきた人=英語で苦労してきた人、もしくは母語と英語の違いを明確に理解している人だと思うのです。
前述の医師の話に戻ると、このような人こそが、英語学習という未知の場面で共感をしてくれる人ということだと思うのです。
では、英語ネイティブスピーカーに英語を習ったところで英語力がつかないかというと、そういうことではないと思います。
(続く)
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